FIP(猫伝染性腹膜炎)の治療法 -モルヌピラビルという選択肢-

2023年08月03日

今回は新しい猫伝染性腹膜炎(FIP)の治療薬として選択肢にあがってきたモルヌピラビルについて書きます。

要点を最初に書きますと、
・飲み薬(粉)を3ヶ月くらい飲み続ける
・これまでの治療法に比べてものすごく安価(1〜2割程度)
・人のコロナウイルス治療薬で猫に長期に飲ませて問題がないかは不明。また薬を扱う飼い主への影響も不明。
・他に良好な治療成績が蓄積された治療法がある。ただしそれはモルヌピラビルよりもだいぶ高額。

では、興味のある方は読んでみてください。

はじめに
猫伝染性腹膜炎(以下FIP)はFIPウイルスによる猫の感染症です。一度発症してしまうと助けることが非常に難しい病気(以前は致死率ほぼ100%と言われていました)と言われています。そして残念なことに、FIPの治療を目的とした動物用医薬品として承認されているものは現時点で存在しません。しかしこの病気を克服するために効果が報告されているものもあります。今回はその中の一つ、比較的新しい薬であるモルヌピラビルについて少しお話しします。

猫伝染性腹膜炎(FIP)とは
FIPウイルスは猫腸コロナウイルスと呼ばれるウイルスの変異によって生じます。この猫腸コロナウイルス自体は猫にとって珍しいものではなく、感染しても無症状あるいは軽度の消化器症状のみの場合が多いですが、これがFIPウイルスに変異して発症すると猫に様々な症状を引き起こし致死性の感染症となりうるのです。

症状は?
一般的に抗菌薬に反応しない発熱や、元気消失、食欲不振などが見られることがあります。
また大きく2つのタイプに分類され、ウェットタイプ(滲出型)、ドライタイプ(非滲出型)と呼ばれます。ウェットタイプは特徴的な胸水や腹水が溜まるもので、胸水によって肺を圧迫して呼吸困難を起こしたり、腹囲膨満など見た目の変化が見られたりすることがあります。
一方ドライタイプは体の様々な臓器に肉芽腫と呼ばれるしこりを作ったり、神経症状や目の症状を引き起こしたりします。
このように、FIPの症状は非常に多岐にわたります。

診断は?
前述のように、FIPの症状は様々であるため、その診断は非常に難しいです。年齢や飼育環境、症状、各種検査の内容から総合的に判断します。胸水や腹水が溜まるウェットタイプは胸水腹水検査で特徴的な結果(細胞数が少ない高比重な滲出液)を示すため比較的診断がしやすく、胸水や腹水が見られないドライタイプは診断がつけづらいことが特徴です。
ドライタイプの診断では、肉芽腫を認める場合はこの細胞を針吸引しIDEXX社の検査センターに送り、遺伝子検査をすることでほぼ確定診断を導くことができます。

FIP治療薬としての新しい選択肢、モルヌピラビルについて
モルヌピラビルは、世界的パンデミックを引き起こした新型コロナウイルス感染症の原因ウイルス、SARS-CoV-2に効果を持つことが知られた人体薬です。モルヌピラビルは、ウイルスのRNA依存性RNAポリメラーゼに作用することにより、ウイルスRNAの配列に変化を起こし、これによってウイルスの増殖が阻害されます。
FIPの原因ウイルスもコロナウイルスによって引き起こされるため、このモルヌピラビルが注目され、長年猫とその飼い主を苦しめてきたFIPの治療薬としていくつかの動物病院で導入され始めています。

今までの治療やそれらとの違いは?
ある会社がライセンスを持つ試薬がFIPを完治させられると報告されましたが、これは治療薬として販売されませんでした。このライセンスのある試薬を中国の会社が無断で、非合法に、そして倫理的に大問題ですが別成分のサプリメントと偽り、治療サプリメントとして非常に高額で流通させる事態となりました。またさらに模倣品や擬似薬が出回りました。
(一個人の人として獣医師として倫理的に決して許すことができないと考えているため、あえてそれらの具体名を挙げることは避けます。)
これらに関しては、非常に大きな倫理面の問題と安全性への懸念もあるため当院では導入を見送っていました。
今回、モルヌピラビルは日本でも特例承認された人体用の正規の医薬品であること、また今までの薬よりはかなり安く使用できることから、取扱を始めました。

当院での使用例
当院ではドライ型1例、ウェット型1例に対してモルヌピラビルを使用しました。ドライ型は使用開始後1週間ほどでほとんど通常の状態まで戻り寛解し、その後再発はありません。ウェット型は当院初診時点ですぐにFIPと診断しモルヌピラビルの内服を開始しましたが、当院を受診するまでの経過が長く状態が悪かったこともあり残念ながら翌日に亡くなりました。

【-2023年9月17日追記-
その後さらにドライ型3例、ウェット型3例にモルヌピラビルを使用スタートし、5例の猫の症状は改善し、1例の猫は亡くなりました。やはり調子が悪くなってからの期間が長い場合、モルヌピラビルの効果が発揮されづらい傾向を感じています。】

【-2023年10月31日追記-
FIPのドライタイプの神経症状を発症した場合、モルヌピラビルの効果が出づらいのでは報告がありましたが、当院治療例でもその傾向を確認しています。そういった状況に対応できるようなモルヌピラビルの使用について検討・実施中です。】

【-2023年12月20日追記-
モルヌピラビルFIP治療例は現在16例を超えました。ドライタイプ、特に神経症状を呈する症例に関しては高用量のモルヌピラビルが必要である傾向を複数確認しています。また経過の長い重症例も救命できるように注射薬レムデシビルも導入しました。ただしレムデシビルは高額のため使用法は要相談となります。】

モルヌピラビル用いたFIP治療について当院の方針
FIPは疑っても確定診断しづらいことが多い病気です。また来院時の状態がすでに重篤であることも多い病気です。そのため当院では正確かつスピーディーな検査と診断が何より重要と考えています。モルヌピラビルについてはFIPの治療薬として認可のおりた動物用医薬品ではないということ、比較的新しい薬でその治療計画や副作用の問題など不明点が多く、治療法として確立されていないことなどの注意点をお話しした上で、その使用について飼い主様とよく相談して決めていきます。

最後に
モルヌピラビルの登場は、これまでの「高額だからFIP治療を諦める=死を待つ」という状況を、「モルヌピラビルでFIP治療にチャレンジする」という流れに変化させると言って過言ではないでしょう。
ただし、FIP(モルヌピラビル)治療を商売色を前面に出してWeb上で広告している動物病院のサイトも見かけるようになり、モルヌピラビルの乱用が懸念されます。
不明・不安点がありましたらお気軽にご相談ください。ただし、来院を前提としないお電話でのご相談はお受けすることはできませんのでご了承ください。

-2024年3月5日追記-
全国の動物病院にダイレクトメールが届いているようですが、当院にも届きました。
「FIP集患オンラインセミナー2024」
どこの業界にも何でも商売にしようとする動きはありますし、それら全て否定するつもりもありません。
このダイレクトメールは某大手の経営コンサルタント会社から送られてきましたが、人の(猫の)苦難や不幸を食い物にする姿勢には全く賛同できません。
このセミナーを参考に集客をしていると思われる動物病院のサイトを見ましたが、治療費が当院の3〜4倍の設定になっています。
保険診療ではなく自由診療の獣医療ですが、純粋なサービス業ではないはずの動物病院。獣医師諸氏のモラルについて改めて考えさせられる内容です。

追記 
2023年12月からFIP治療薬として注射薬レムデシビルの取り扱いをスタートしました。
これは当院で、飲み薬であるモルヌピラビルを用いたFIP治療では、経過の長い重症例の救命が難しかった例を2例経験したためです。
レムデシビルはFIP治療薬として高い治療効果が報告されている「GS-441524」のプロドラッグ(前駆物質が体内で代謝されGS-441524になる)です。
とても高額です。1日1回の注射をするとして、1回あたりの注射費用は1.5〜3万円ほどになります。(体重やFIPのタイプによって使用量に幅があります)
レムデシビルの投与は静脈もしくは皮下への投与、ドライタイプと神経症状や眼症状を呈するパターンには高用量が必要と報告されています。
レムデシビルもモルヌピラビル同様、ヒトコロナウイルス感染症に対する治療薬として承認された薬ですが、やはりFIP治療薬として認可があるわけではなく、用法用量も決まってはおらず、リスクに関してもまだ不明の状態です。(ただし、GS-441524やそれを模倣した非合法な中国由来の薬(サプリメント?)の使用歴から用法用量やリスクが予測されています)